その164

 認識対象はつねに運動の状態にある。運動している何もがいかにあるか。いうなれば、恒常的な細部の崩壊と結合の関連が実質的な運動のあり方をいうのではないか。留まろうとして留まらない。動き続けるようでいて留まろうとする。運動はプラスとマイナスの方向に向かっていく。増えるか減るか。存在するなにもが増えるか減るか。なくなってしまうものもあれば、存続を続けていくものもある。存在の中に一切実在しない何かが、存在の広がりの一瞬において実在する可能性があっても、次の瞬間には実在する何かがある。つまり、存在のありようはカオスでしかない。あるものがあり、ないものはないが、ないものがあるようになり、ないものがあるようになる。存在に対して認識を行う主体である私たちが知っていることだけが存在のありようではないのは言うまでもない。認識内存在と認識外存在がある。