その163

 カオスとは、私たちと存在の間にある関係性の状況だろうか。認識主体である私たちが存在と向き合ったとき、捉えられる部分とそうでない分が必ずあるとき、認識の総体はカオス的にならざるを得ないのではないか。認識可能領域とそうでない認識不可能領域を合わせたときの存在の実存がカオス的ではないかと考えられる。結局はカオスにしかならないのが私たちの認識ではないか。私たちの認識とは存在に対してのことだが、存在の実質をすべて捉え切ることができない以上、私たちの認識はつねにふ可能性を抱えたまま実在するしかない。認識しようとすることがかえってカオスを生じさせる。存在の全体が実質的にカオスがどうかは定かではない。存在の全体の実質は不明確でしかない。つねに分からないが、それでも私たちは認識主体として世界観をもつ。