その171

 知っていることは無条件ではない。知ることができるための原因があってのこと。何かの認識は関係性のうちにある。知っていることはその原因を含んだ現象であり、それは路上に転がっている石を見て、そのものだけが在ることを見ているのではないことを意味する。路上の石にはその原因があり、石を見たときにその原因が完全に見えてくることはないが、原因がもとになって存在するその石にはその外観からして、原因を含んだあり方にある。いうなれば、路上の石は、存在の広がりのおける原因の一端であり、石がなければ何も存在しないというのではないが、石が在ることで他の存在の原因になっていることは事実と考えられる。存在はそのすべてが相互に関連しあっているのだから、そのすべてが存在の原因と考えても差し支えない。原因に対する結果でもある石が、他の存在の結果に対する原因である。そんざいはそのすべてが結果であり、原因である。同時そうした現象が起こっていることの意味とはつまり、どこかに主体を定めることによる。主があれば従が生じるが、主を定めるのは何かの存在の側に立つことによる。あらゆる存在は主であり、従である。