その166

 意味とは何か。何かがあればそこには意味がある。何もなくても、なさといった意味があると考えられる。何かがあることかばかりが意味の原因ではなく、何かがないこともまた意味の原因になると考えられる。何ひとつとして存在しないとき、ゼロとしての意味がある。ゼロとしての意味が発生するのは認識主体が存在するからだろうか。認識主体がなくても、意味はある。生命不在の星でも、存在しているものが意味を示している。認識されなくても意味はある。であれば、いかにあろうと、つまり何もなくても意味だけはあるのではないか。何もないのに意味がある現象はいかに起こるのか。一切の存在が物質的に実在しないとき、存在の広がりはゼロであり、ゼロ空間とは意味だけが実在する状況のことではないか。ゼロ空間に実在する意味とはいかなるものか。物質に埋め尽くされた空間にある意味それ自体がゼロ空間にもあると考えたとき、存在に対して想定される意味とは、存在の根源的なエネルギーのようなものではないか。意味があるから存在する。意味がなければ何一つとして存在しない。意味だけがあって、物質はない。そんな現象が実在する存在の中で起こっている可能性はある。意味が即座に全て物質に転換されるのではないとき、物質的な実在のなかに意味だけが特別な姿で実在している可能性がある。存在するもののなかにすべての物質的実在がでそろって実在しつつ、それに付随する意味もまたあるが、物質的な実在に付随しない意味もまた実在するのではないか。