その168

 物質とはその運動が存在の原因であり、実在する物質はその場において運動の状態にある。動いているから実在可能なその存在の何か動いているかというとき、それは意味が動いていると考えられる。物質の運動は物質に関わる意味が動くことで実在する。物質の運動はそのまま意味の運動である。刻々と意味のあり方に変容があるとき、物質は動くのである。物質がどうなっていくかは、意味の変遷を追えばいいと考えられるが、把握可能な意味の変遷があるのみならず、把握不可能な意味の変遷もあるのではないか。永遠に知り得ない意味の変遷が知り得ることの可能な意味の変遷と一緒にある。明らかとなる意味には同時に明らかにならない意味が関わりを持っている可能性がつねにある。存在の広がりがその全体の運動であると考えるとき、その運動の成立のために運動する意味が存在の外から訪れている可能性がある。存在のすべてにはその運動のためにその外部があると考えることができる。存在の外部からの意味により新しくなり変わってく。存在を新しくする意味が存在の外部にあると考える時、存在の外部はどこにあるのか。一個のりんごにはその外部があるが、存在のすべてにもその外部があるとき、存在外に存在の原因があると考えられるが、それは私たちに永遠に知られない場のことか。りんごの外部は存在のうちにあるが、存在のすべての外部は、存在する場を持たないと考えられもするが、しかし、存在はそのすべてが運動にあると考えられるとき、姿を変えていく存在のために新しい意味が付与されなければならない。新しく付与される意味は存在のすべてに含まれる存在の外部だろうか。存在のすべてとは存在のありようを物語るすべてであり、つまりは意味の広がりのことではないか。