その478

 変化それ自体があらゆる認識それ自体の実存に内在されている。何かを認識することとは、変化量を認識することではないか。何かを認識したとしても、それは現実において、認識したことにはならない。認識すべきは単に現実である。現実とは何かだけではなく、何かの量である。量を認識しない限り、認識したことにはならない。概念として認識したことも、その移ろいによる変化量を認識しない限り、実存的認識とはならない。認識のゴールはつねに実存的認識であり、それは実在する何かの変化量を捉えることを意味する。距離においてもそうで、単にその長さを捉えただけでは、実存的認識とはならない。地点Aから地点Bまでにどれだけの変化量があったか。むろん、その長さにおいてであるが、その長さだけを捉えるのではない。その長さにおいて実在する変化の量を捉えないといけない。その変化とは何か。あるところからあるところまでどれだけの距離があって、そのあいだにあるもの。そのあいだで何が起こっているか。それを捉えるために変化の量を捉えるべきなのではないか。

地点Aから地点Bまでのあだいに、どれほどの距離があるか。そして、それほどの距離があったとして、その間に何が起こっているか。地点Aから地点Bまでの距離は測るたびに異なっている。それはその間で、さまざまなことが起こっているからだ。