その479

 認識において、その変化量を捉えることは肝心であるが、何の変化量なのか。それを捉えることとは、何かが起こっているときに、その内実において、何が起こっているのか、その全体を捉えないといけない。その全体は確かにある。あるだろうが、その全体が全体であることをいかにして知ることが可能か。何かが変化していて、そこで起こっていることのすべてを知り尽くすことなどできるのか。原初的に、私たちは全体が全体であることを仮にしか知ることができない命運にあるのではないか。絶対的な全体かもしれないことを絶対的に知ることがいかにできるか、悩ましい問題である。

 りんご一つとっても、そのりんごの全体とは何かを考え始めると、世界のどこまでを相手として考えればいいのか、まずそこが分からない。私たちにとって、全体という言葉があっても、その全体について、知り得ることができない。全体といったイメージだけがある。その実態は不明瞭である。いつだって。