その441

 認識できないことが、それでもそのようにあるとき、そのようにあることが、現に認識していることとその関係にあり、認識していることそれ自体の原因である可能性があるが、認識していることの原因を知り得ないことになる。原因はしかとあるかもしれないのだが、それを認識できないこととは、私たちはなぜそれがそのようにあるか、そのことを知らないのである。原因不明のものがいくつもあるなかで生きている。それがなんなのかは知っている。しかし、それは単にそうした呼び名で親しまれているだけに過ぎない。そう呼ばれる何かが、その呼び名においてその原因であるわけではない。そのものの原因は何か。そのための関係性について紐解いたところで、その全体の像が明らかになるはずもない。知ることができる領域を超えてつねに知り得ない領域がある。それは闇かもしれないが、それがそのようにあることにおいては徹底的に明らかなことである。ひどく明らかなこと、つまり、そのようにあるからそのようにあるのだが、そうした現象の子細にわたる単純さについて、どうしたら知り得るだろうか。それはそのようにあるからそのようにある。それはそのようにあるからそのようにある。ただそれだけのことだが、そのようにあることがいかにあるからそのようにありえているのか、それを知るための全体の像について、誰が知ることだろう。