その440

 何かがいかにあるか、それはその運動を止めて観察したところで、明らかとならない。動いているそのものをそのまま捉える必要があるとき、それをいかに行うか。動いている何かをそれ自体として捉えるためには、それ自体そのものの運動をまるごと捉える必要がある。運動しているそのものをそのまま捉えるとき、その数値はどうなるか。翻って、無となる他はないのではないか。つまり、運動するものをそのまま捉えようとしたとき、数値に置き換えることには限界があって、その向こうには認識上の無しか実在していないと考えられる。認識上の無とは実在における無ではない。それはそのようにある。しかし、認識しようとするなら、その限界により、無となる他はない。