その451

 考えるとは何か。考えないとは何か。考えないことの対極に考えるがあるのか。行為者である私たちは何をどうやっていくか、考えることなしに、ことがうまくいくことはほぼないのかもしれない。どうやればうまくいくか、それを考えることで初めて、生きて命をつないでいけるのかもしれない。考えるとはつまり、物事のやり方について考えることであり、考えないのは、何一つとして作為を持たないことである。むろん、それは意識的にやらないことばかりを意味するのではない。無意識においても思考は存在する。考えている感覚がはっきりとないときでも、慣れがあって、物事がうまく運ぶことがあるとき、それは考えられている。無意識における思考の実在とは何か。いかなる有り様で、無意識の思考はあるのか。そこに言葉の介在はないとしたとき、無意識の思考を可能にしているのは、身体ではないか。身体が記憶していることにより、考えるような道筋を通って、物事がうまく運ぶことがある。それは身体が思考の器になっていることを意味する。言葉はそれ以前のときには介在していたかもしれないが、いつしか、言葉は打ち捨てられ、その関係性を失っても、思考は残っていることがありえるのではないか。