その462

 認識内現象は、認識外現象といかに繋がっているのか。いや、つながっているのか、つながっていないのか。そこから問いたいところでもある。認識が認識されていないこととつながっているとき、なぜ認識が成り立っているのか。認識は世界と切り離されることで成立するのか。世界と切り離さない限り、何かの認識を持つことはできないのではないか。

 関係があるかもしれないことを関係がないとして、なぜそれ自体が成り立つのか。関係がなくとも成立することのみを認識しているのではないか。それしか認識できないのではないか。

 認識できることは、認識していないことと一切関係のない状況で成立することではないか。認識したことが認識の外側のことと関係があるとき、その認識は不完全でしかない。認識途上のことを認識していることになる。認識として成立するためには、認識の外にあることと関係の一切を持たない必要がある。そんな実在があるのではないか。すべてがつながっているわけではない。