その464

 感じたことは世界から切り離されていることで実在可能なのではないか。感じられたことは主観による。主観的な解釈が感じられたことだ。世界そのものは実在しない。ひたすらなる関係性がある。関係性により、何かが何かである。何かであることは関係性のいかんによる。どんな水もその細部ではそれぞれが異なった一瞬にある。水のどの瞬間も異なっている。水のみならず、存在する何もがあらゆる差異を抱え込んでいる。すべてが異なるものが集まっているのか。いや。何か具体的なものがあるのではないのかもしれない。あるとしても、それがいかなるものであるか認識を行っていけば、その姿はぼんやりとしてくる。はっきりと見えているものはそう見えているに過ぎない。それもまた認識の機能が生んだ現象だが、そう見えるからそのようにあるわけではない。