その460

 世界は運動していて、その意味で開いているが、開いているといった意味は、認識内においてのことに過ぎない。認識の外では何が起こっているのだろうか。それを考えることは、認識内での出来事になる。知っていることのすべてが認識内のことでしかないとき、私たちは世界の実質を知ることはできないのではないか。

 閉鎖力が働いているといった意味とは、何かが確かにあることを意味する。りんごがあるのは確かに事実である。りんごであるか、りんごでないか。存在している情報空間のなかで、りんごである場と、りんごではない場がある。りんごである場においてりんごがある。りんごではない場においては、そこにりんごの痕跡はない。いや、さまざまな場がりんごとの関係にあるが、りんごと関係にある場にはりんごはない。りんごと関係にあるがりんごはない場とは何か。りんごそれ自体はないが、そのりんごの何かしらがその場に影響を与えている。りんごはりんごであって、そうでないものはそうではない。しかし、そうではないものがりんごからの影響を受けているとき、りんごではないものはりんごとの関係にあるが、そもそも、関係にあるとは何か。関係していることの意味ついて考えてみたい。