その465

  見えていることからの影響は大きいと言わざるを得ない。それ故に、見えていることをそのまま現実と感じてしまう。明らかに、目の前にあるりんごが現実と考えるが、それはそう見えることがその原因となっていると考えることできる。認識のいかんが現実感を生んでいるのであり、視覚優位が私たちにとっての現実となっている現状において、それはけして普遍的なことではない。どう世界を認識することで実在感を得るかは、視覚がいまほど発達していなかったときの私たちの祖先においては異なっていたはずだ。見ることでもっとも具体的な現実間を得るように感じられるのは、現在においてそのようであるといったことに過ぎないのではないか。先々において、認識が主軸がどうなっていくか。視覚からロゴスへと変化していくのではないか。見えていることが現実感をもっとも表現していることから、見えている状況がいまほど価値を持たなくなって、ロゴス、つまり頭で考えられ、実質的な認識となったことが認識の主軸を占めるように、少しずつ変化していくのでないか。