その565

 正しさは世界の側にある。世界は判断をしない。ただあるようにあり、それが正しいのだ。世界はいつも正しいが、我々がその正しさを認識できないのだ。いうか、起こっていることなぜそのように起こっているのかについて、なぜそういった問いが発生するのか。つまり、起こっていることはただそのように起こるから起こるのであり、実際に何かを起こしている世界の側にはみずからがなぜそのように起こっているのかについて問うことはない。なぜそのようなことが起こっているのかについて、起こっている側である世界はみずからを問わない。世界は自らを問うことなく、ただ起こることを起こしている。なぜ、あることが起こっているのかについて、その原因があるとしても、その原因がさらにある。原因に原因があるとき、どこまで遡れば根源にたどりつけるのか。つまり、世界の根源的な原因がなんであるか。それは世界がなぜあるのかを問うことになる。なぜ世界があるのか、それは世界が運動するからで、動くことが世界の根源ではないか。そうであれば、動きさえすれば世界はある。わずかにでも動けば世界はある。では、どうすれば僅かにでも世界は動くのか。あれば動く。ではなぜあるのか。