その564

 現実を作っているのは世界であり、認識ではない。認識は出来上がっている世界をなぞる。そういった働きが認識にはある。世界を作っているのは起こっていることであり、起こっていることをそのままなぞっているのが認識だ。世界のあり方と異なった認識は認識ではない。世界をなぞることのない認識は認識として不成立だ。認識は成立するか成立しないか。認識が現実的に実在するためには認識が世界をなぞって成立しなければならない。世界そのものと認識がまったくもって合致しなければならない。成立しない認識は単に、そのように考えているだけだ。考えていることのすべてが正しいわけではない。間違ったことのいくつかを考えている。思考それ自体に正しさと不正がある。考えて思うことのすべてが正しいわけではないとき、考えて思う私がつねに正しいわけではなない。私とはつねに正しい私であるなら、どんなときにつねに正しい私であることができるのか。正しさとはいかに生み出されるものか。思うことはいくらでもできる。いくらでも考えて思うことはできるが、それらすべてが正しいわけではない。考えて思ったことのいずれが正しいかを決めるのはつまり私の判断だ。むろん、判断のすべてが正しいわけではない。ある決断をしたとき、何かは正しくあり、正しくもない。