その533

 事実が事実であっても、それが明らかどうかが定かでない現象をまえに、私たちは何を認識できるのか。認識として成立していることが可能性としてしかないとき、私たちは一切の認識を絶対的なるものとして持つことができない。事実はいつも事実かもしれないのか。頭のなかで事実と思っていることが頭の外で実際にそうであると認識することは、認識とは何かを考えることとなる。

 世界はそのすべてが事実としてそのようにある。その世界を捉えようとしたとき、何かしらのフィルターを通じて捉えることになる。世界はそのまま真実としてあるのに、どうしてそれを知ることができないのか。