その532

 そのすべてとしてあるから実在可能なのかどうか、というか、単にすべてとしてある、そのことを世界と呼んでいるに過ぎない。世界は存在のすべてを含む。そう定義したとき、いったい何が詰め込まれているのか、その全容は誰の知るところでもない。確かに全体としてはある。しかし、その全体がどこまであって、どのようなものなのか、それを確かに知り尽くすことが原理的にできない。言い換えると、本当にそうかもしれないことが、本当にそうであると知ることができないのだ。絶対の事実かもしれないことを絶対の事実と知ることができないとき、私たちの認識はどんな状況にあるだろう。