その398

 認識された事実にはその直後の運動がある。かりに認識は完全になされたとしても、認識の外にある、認識外運動について私たちは知らない。知らないし、それでも知りえたとしても、その外の運動については知らない。といったように、現実の物質的な現象のいっしゅんいっしゅんを捉えようとしたとき、捉えることのできた部分と捉え切ることのできない部分があることになり、捉えきることのできる部分をどれだけ拡張しても、現実の物質について、実存的にそのすべてを捉えることは到底できない。理論上なら実在するかもしれない物質の振る舞いについて、実際にどうなるか、それはやり実際に運動してからではないと明らかにならない。

 認識外に認識された運動と関連する運動があるのもまた事実。そういった現実において、なぜ認識可能な部分が部分として実在するのか。その関連性自体が実在を構築しているとき、その関連性を断ち切って、なぜそれでも認識が成立するのか????