その322

 不自然なことが起こることがあるのか。何かが起こればそれは未知の法則も含んだ物理的な現象として起こっているのではないか。それがどういう理由で起こっているか、分かることと分からないことがある。分からないことは分からないだけで、その理由がないのではない。もっとも、そうなった理由が完全に実在することがあるのか。つまり、理由のすべてが把握されることがあるのか。いや、存在の現象における理由がどのようにあるか、それは存在の側にすべてあり、それらを認識できるか否かといった話に過ぎない。認識内因果と同時に認識外因果があって当然ではないか。認識されうる因果があるとともに、どうやっても認識されない因果があって当然ではないか。認識されない因果は存在していても認識されないのだから、私たちにとってはないに等しい。とはいえ、関係はある。知らないだけでそれがあることで知っていることが起こっている。知らないことと実際に関係している。知らないことが起こっていて、というか、ほとんどすべてが知らないことだ。知っていることはごくわずかしかない。ごくわずかの知っていることは、知らないほとんどのことが原因となって起こっている可能性にある。

 なぜ可能性としてしか考えることができないのか。事実として考えられないのか。それは知り得ないからではないか。知ることのできる領域が少ないから、あとのことはすべて可能性として考えられるということになるのではないか。知ることの領域がもっとあれば、可能性として考えられるとしなくてもいいのではないか。

 可能性として考えられていることが現実的にどうか。それがはっきりとすればいいのだが、決定するのに躊躇わられることから、可能性として考えられるとなる。もっとも、未来のことはすべてが可能性としてしか考えられない。未来のことではなく、実際に起こっていることのうちでどんなことが可能性として考えられているというだろうか。