その189

 知らないことが実際にいま生きていることとの関わりにあるとき、知ってはいないが関係はあることになる。関係のあることを知らないというのは、言葉になって知っていないだけの可能性がある。言葉になっていないことといかに関わっていると言えるか。関係性はそれ自体が存在しているとしても、そのありようはすべて見えてこない。関係性の連鎖の姿がすべて認識のうちに捉えられることはないのではないか。ある存在にかかっている関係性のベールがいかにあるか、その全容は把握不可能と考えられるのは、とある関係性のベールを一個の全体としたとき、その全体が全体として完膚なきまで把握されたか否かの確証を得ることができないのは、存在のすべてを理解したと確証を得ることができないのと同じで、限定されたある領域の全体であっても、その完全なる把握の確証をいかに持つことができるか。

 絶えざる運動にある存在の全体を捉えて認識に置き換えるとき、運動そのものを捉えないといけない。数に置き換えたとしても、数は存在と完全に合致するのではない。数にも限界がある。数に置き換えられた存在はその瞬間に次の瞬間にある。捉えた瞬間と瞬間のあいだにも瞬間があり、数に置き換えないといけない。存在を認識するとき、その至るところを認識しなければならないが、存在は数に置き換えられる前にすでに次の局面にあるのではないか。数に置き換えられた認識は存在のあり方からわずかに遅れをとっていると考えられる。存在の運行と完全に同一の認識は存在しないのではないか。認識には存在を捉えるために必要とされる時間が僅かにかかる。いつもその分の遅れがあるのではないか。