その249

 目の前にあるりんごはどこまで具体だろうか。具体的に一個あるりんごが具体的ならその実質が明らかにならないと、ロゴスでその具体を捉えたことにはならないが、ロゴスでどこまで一個のりんごを捉えることができるか。何が明らかとなって、そのりんごだろうか。

 りんごはそのりんごの領域を携えて実在している。りんごの全体とはその領域のことである。そのりんごがそのりんごであるためには、そのりんごであるために必要な場がある。その場が実在するために、存在が現にある状況において、そのすべてではなく、部分としてその関係にある。存在における部分としてあるはずのりんごの領域は、存在をその流れとしたうえで捉えたときに実在すると考えられる。その流れとは、まさにいま起こっていることのうちにある。まさにいま起こっていることがある。そのうちにあるりんごがいかなるものか、それはそのりんごがその実在として語るより他、その存在を明らかにすることはできないのではないか。そのりんごの領域もまた、ロゴスて解明されていくとしても、限度がある。りんごの領域はつねに実在しているのであり、それは今この瞬間にも動き続けている。いかなる関係性のネットワークがあるか、それは明らかにするまえにすでに出揃っている。出揃っている何かを確認していくことが明らかにすることである。初めから明らかなことを明らかにするのであり、どこかで正確に捉えることができるか。そして、捉えたことが確かか。その確証を得るためにできうることは何か。絶対の真理があるとするとき、それはいかに証明され得るのか。s