その190

   認識の存在なくして、私たちの実存はない。認識とはしかし、存在のうちに含まれている私たちにおいて完全なる整合にあるのではない。存在の渦中を生きている、そのときのことは、存在そのものと同期しているが、認識は存在のあるがままと比べられ、原初の遅れにある。根源的に私たちは遅れたかたちでしか存在を認識できない。存在をそのまま捉えることがあっても、捉えるといった行為の介在はすでに原初の遅れを意味する。

    認識とは何か。知っていることのすべてか。知っているとは何か。存在のために起こっている出来事の関係性を全て知っているのではないのに生きていられる私たちは、知らないことに生かされている可能性がつねにある。知っていることと関係のあることは違う。知らないが関係していることはあまたある。