その188

   できごととはそのすべてが物質的か。物質的ではないできごとがあるなら、いかなる姿であるか。物質的実在はすべてができごとである。できごとの内実をすべからく捉えるとき、その全体とは何か。いかなる全体性ができごとにはあるか。全体とは、私たちの認識を超えた実在である可能性がある。そのとき、全体は存在すると考えられるのか。捉え難い全体は存在すると断定することは可能であり、実際にあると措定することはできる。それがどんなものであるかわからないがそれはあると考えることは可能だ。いかにあるかそれを知らずとも、あるはずだと考えることができる。考えるだけではなく、実際にあると決定づけることができる。どんなものかわからないとは、それが知識とならないといった意味においてであり、知識にならないことも含めて存在はそのすべてを全うしている。知らないから存在しないと考えることはできない。あまたある知らないことも含めての存在だ。知らないことも確かに実在していることで、知っていることの存在理由ともなっている。知っているか知らないかが、存在がいかにあるかとは関係がない。存在はあるがままある。そのうちのいずれかを知っていて、知っていない。知っていることは知っているが、知らないことは知らない。可能性として知っていることは可能性である事実として知っているのであり、存在がいかにあるか、その具体を確実に知っているのではない。知識には確実な領域と不確実な領域と未知の領域がある。未知の領域に向かって進んでいる。存在はそれ自体がすべてが自明であるが、私たちの認識のなかを生きる私たちにとっては、数え切れないほどの未知であふれている。