その416

 分からないことが可能性として実在する。分からないといえど、実質においては、ひとつの事実として実在するはずだが、その事実が見出せないとき、現実は可能性となる。認識内には可能性の束がある。可能性の束それ自体が私たちの認識機能を通じて、この世界に実在する。可能性の束が指し示すことのうちで、いずれかは現実であり、いずれかは現実ではない。現実とは事実の寄せ集めでできているのではない。私たちの推論を通じた可能性それ自体が現実のうちに含まれる。現実とはそのすべてが明らかなことではない。不確実なこともまた私たちの認識のうちにあり、私たちの認識それ自体が現実に含まれるとき、現実は確かな事実とともに推測されてできた可能性それ自体とともに実在する。いうなれば、事実のすべてが正しいわけではない。事実だと思われていたことが誤りの可能性がある。すべては可能性でしかないというのは過言であり、確かに陽は東から上り、西に沈む。この事実をある期間において事実としたとき、完全に確かな事実となる。どの期間までかそれは分からないが、永遠で、普遍ではないとしたときにむしろ、事実が事実になる。