その582

 そのほとんどを知らないでいても、世界はそのすべてというすべてが法則によって出来上がっている。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。そのいずれであるか、それは事実として分からない。すべてが法則出来上がっていると捉えたとしても、そうではない可能性が残る。この可能性というやつが完全に消滅しない限り、どんな証明をしたとしても、永劫普遍の真理とはならない。というか、世界には性質があって、いくら法則でできているといっても、その法則が時代とともに変わることが十分ありえる。永劫普遍の真理はその意味では存在しない。世界の性質が変わる限り、この世に一個の世界があることにはならない。世界の性質が地磁気の反転によって反転したとき、世界のあり方は根本から変わる。そうかもしれない。いや、世界には永劫普遍の真理があるのか。とにかく何かがあればそのようにある何かが必ずある。そうであるなら、世界は永劫普遍に一個の世界にある。世界が一個かどうか、誰も知らない。一個の性質に世界はあるのか。世界はその性質のことであるとき、性質は違うがあるにはある世界がいくつもある可能性をどうやっても否定できないとき、永劫普遍の真理は我々にとって永劫普遍の不明である。不明であることが永劫普遍の真理となる。