その420

 知っていることがどこまであてはまるか。事実は事実としてあっても、限定的である可能性をつねに持っている。すべてにあてはまる事実は実在するのかどうか、はっきりとしない。その事実があてはまる領域をして、そのすべてとすることはできる。ある事実があてはまる領域すべては存在している、その存在のすべてではない可能性にある。可能性とどう折り合いをつけて認識をもつのか。事実の背後にはつねに可能性が潜んでいる。むろん、可能性があっても、事実としてその可能性が示そうとしていることは実際には存在しない可能性がある。推論だけはできる。とある可能性が考えられたとしても、実際にはその推論が示すことが実在しないかもしれないとき、ある事実は実際にすべてについて当てはまっていることになるが、その事実をいかに確認すればいいのか。

 事実はあくまでも一つしかない。可能性はあくまでも可能性であり、考えられるからといって、その考えられたことが実際にあるかどうか。あるならある。ないのならない。ただそれだけのことである。それだけのことについて、実際にそうであることをいかに確認できるのか。推論されて浮かび上がってくる可能性について、それはあるえるのか、ありえないのかの確認をいかに行うことができるのか。この世界の果てと思われているところの向こう側にもまだ世界が続いているかもしれないし、続いていないかもしれない。実際にどうなっているのか。事実は一つしかないわけだが、一つの事実に対して、それでも推論されることがいくらかある。事実はそれゆえ、容易に事実と定まることがない。いうなれば、私たちは事実について知ることができないのではないか。