その588

 世界で起こっている出来事のすべてが世界におけるプロセスの一端であり、何かが特別というのではないとき、我々の思考もまた特別ではなく、世界がどのようにあるか、その原因に一端となる。あくまでも一端でしかない。思考がいかにあるか、それは世界がいかにあるかに関わっている。思考は世界についての思考であり、世界がいかにあるかが思考の原因であり、かつ、そのように思考することとなったその原因が世界の運動のあり様にある。世界がどういった動きにあるかが我々が何を考えるかに関わっている。世界それ自体を捉えるための思考は、世界がただそのようにあることをそのままなぞることを意味する。特別、何かを創造するのではない。

 思考はむろん可能性について思考する。つまり、絶対に起こり得ないことも思考する。思考がほんらい、世界のあり様について捉えるための運動であるなら、思考はただ世界をそのままなぞればいいわけだが、そういうわけにはいかない。