その587

 世界にはその全体がある。それ故に、何かが具体的にある。世界の全体もそれ自体として具体的だ。可能性はあくまでも可能性であって、思考されていることに過ぎない。そのうちのいずれかが世界の具体となって現れるわけだが、思考したが故に、そのような世界が現れるわけではない。いや、思考したが故に、その結果として現れる部分はあるが、我々の思考は世界におけるプロセスの一部にすぎない。つまり、川が流れているように、思考も流れていて、その先に世界がある。世界が具体的にある。