その563

 起こっていることが認識を作っている。認識が起こっていることを作るのではないのは言うまでもない。起こっていることがまず先にあり、それ故にその認識が発生する。認識があるから、そのように起こるのではないのは言うまでもない。そのように起こるからそのようなことをそのまま認識する。ある認識を持っていることはしかし、常に正しさとともにあるのではない。認識しているが正しい時と正しくない時がある。それ故に、認識とは知っているということを意味するのではない。知っていることは常に正しいのではないか。聞いたことがあるのであれば、それは正しいかもしれないし、正しくないかもしれないが、知っているとなれば、それは常に正しくなければ、知っていることにならないのではないか。嘘であることを嘘のまま知っているなら知っていることになるが、嘘かほんとうか分からないことを我々はいかに知ることができるか。できないのではないか。そうであれば、知っていることはつねに正しくなければならない。むろん、正しさは時代や場所で異なる。永遠普遍の知はあるのか。なければ、知っている正しいことは限定的だ。いや、知の源泉である世界の物質性自体が有限的なのではないか。世界が有限であり、流転的であるとき、知はそれとともに限界がある。期限切れの知がもはや使えないときがくる。正しくないのだ。徹頭徹尾正しかったことが正しくないのだ。