その562

 いかにあるかについては知り得ないが、世界がその全体としてあることは自明。刻々と変化する世界はその有限であり、それ故に全体としてある。全体自体の実在がなければ、世界は存在しない。世界という何かを把握することはできずとも、世界はそれ自体としてあると考える他はない。むろん、それは認識内における話である。すべてが認識内における話である。世界は認識内のみならず、認識外にある。認識しきれない世界に生きている我々はいかに生きているのか、それを知らない側面がある。知っていることと、知っていないことにより、いまここで生きている。知っている部分については操作することができる。知らないことについても、何らかの刺激を加えたなら、その反応がある。反応それ自体には全体性があると考えられるが、その全容は把握できるのか。どうなったかは認識内にしかない。認識外でも起こっていることは起こっている。