その561

 常に何かがあって、何かがないといったとき、何かがないという具体性は、何かがあったことによる。これまで存在していたからあった。あったから、それがない。初めから終わりまでなかった何かは、私たちにとって、あるもないもない。あるかないか、それは何だ?あるからといってすべてがあるのではない。ある瞬間にあるものがすべて出揃っているが、それがなぜすべてなのか?すべてというその具体は何をもってすべてなのか?消えては現れている現象世界におけるすべてとは何か。存在するすべてを認識できているわけではない私たちにとって、すべてとは何か。次の瞬間には世界は異なっている。すべてがすべてであっても、もはやそのすべてではない。新しいすべてがあるとしても、それはつまり我々の認識内におけるすべてに過ぎない。認識外にもある存在を含んであるのがすべて。認識外のことは認識外にあるが故に知らない。すべてとは知っていることと知らないことを含んだうえでのすべてだ。確かに世界はそのすべてとして存在するが、世界のすべては知り得ないが故に、我々にとってのすべてとは認識できる範囲におけるすべてでしかないが、それは世界のすべてではない。世界のすべてを我々は具体的に知り得ないが、しかし、世界がそのすべてとして実在しているのは知っているのではないか。