その581

 起こることはいかに起こるか、起こってみないことには明らかとならない。つまり、未来はいつも明らかではない。実際にあるのかどうかも定かではないのが一瞬先の世界だ。おそらく明日はやってくる。おそらくだ。事実だけが世界を作っているとき、今現在よりか先の世界は実在しない。未来が現在となった瞬間に実在する。未来は現在、過去を基盤にして実在するようでいて、どこにもない。つねに起こるべきことが起こるなら未来は今現在において実在するといえるが、そんなはずはない。起こると予測されたことの幾つかが起こり、幾つかが起こらない。未来はつねに人の頭の中にあるが、それらがすべて具現化するのではないとき、人の頭の中にある未来は絶対的ではないが故に、未来そのものの実在について考えさせられる。いったいぜんたい、この世界に未来はあるのか。いまだ起こってもいないことはまず実在しないし、起こってもいない非実在が頭の中にあっても、それは未来についての観測であり、未来そのものではない。いや、むしろ、我々が未来というとき、未来は頭の中にしかないことについて述べているのではないか。その意味で未来はある。いまだ起こってもいないことの観測が頭の中にあるその状況を未来というのではないか。