その371

 世界には未来は含まれないと考えるべきなのか。存在しているものだけがあるのなら、いまだ実在したことのない未来は世界というそんざいの全て含まれた場にはそぐわないのではないか。可能性としてならある未来はそれが実際に訪れたことで明らかになる。99%そうなることでも、そうならない可能性がある限り、未来はどれほど予想がなされようと、実際に起こってみたことから明らかになっていくとしか考えられない。考えられるかどうかだけではなく、実際の現実として、存在しないものはない。存在するものだけが世界なら現在以外に過去も存在すると考えてよいのだろうか。

 それがどんなものか定かではなく、言い切ることも難しいが、確かに現在はある。というか、何かがあるのはつねに現在においてであるといった直感めいたものがある。直感がすべて正しいわけではないがゆえに、思考がなされ、その直感が精査されるわけだが、その成否がどうか、その判断は何に依存すべきだろうか。何を持って真実となるか。その根拠をどこにおけば絶対の事実となるのか。それがわからない。

 わからないのは現在がどのようにあるかであり、かつ、過去は実在すると考えていいのかどうか。昨日の世界は確かにあって、そこを生きた結果、今に至っている。確かに生きたことのある過去はどこをさがしても見当たらないといえば見当たらない。見当たらないからないといってもいいものか。遠い星がそれでも確かにある可能性はつねにある。見当たらないものも確かにある。ならば、見当たらない過去もあると考えていいのか。過去があったから現在があるのは確かであると考えたとき、それはあると言い切れるのか。あるといったとき、それは現在においてあるといった意味を持つのか。それゆえに、過去があるかないかと考えた時、はっきりと断言しきれないのではないか。過去はあるとは言い難いが、確かにあったとはいえる。あったとあるの違いにより、実際にあるのかどうかがことなっていくる。ありはしないがあった。ありはしないがあったものはないのか?