その567

 思考それ自体その内容を物質と捉えたとき、思考という運動によって生み出される思考内容があり、その内容は一個のりんごが生み出されるようにして実在する。思考それ自体は一生のうちで一つながりの流れにあっても、そうした思考が生み出す痕跡は物質的には断片的だ。いや、我々が理解するためには思考の流れから都合よく断片化していく必要がある。合理的であるということは断片化に成功していることを意味する。本来はその断片にまつわるノイズがある。ノイズといっても、実際には雑駁とした何かではないはずだ。単に、合理的な断片にするために我々の認識内でノイズと認識されることに過ぎない。ノイズであるような何かにも、合理的な何かと同一の価値がある。存在における価値はそのすべてが同一ではないか。我々にとってはその価値に差異がある。なければならない何かがあり、そうでもない何かがある。価値が異なっている。しかし、我々の認識を度外視したとき、何かがそのようにあることにはそのすべてにおいて同一の価値があるのではないか。何かが優れていて、何かが劣っている。そんなはずはない。