その344

 運動の実在は何に由来してのことか。なぜ運動する物質があるのか。個物はそれぞれが個別に運動をしようとするから運動をするのか。それとも運動の一切が外部依存性によるものなのか。りんごがそこにあるためにはその運動の力がいるが、その運動の力はりんごそのものに与えられてあるというよりか、この世界には存在が存在するための運動がエネルギーの姿をして実在することで、りんごがその姿で現れているのか。時空間があり、そこにりんごがあるのは、時空間のうちから紡ぎ出された結果によるのではないか。時空間の何かりんごを生み出したのか。時空間がりんごを生み出すに至った経緯は、そのすべてが現象であり、時空間はその意味で現象で満たされている。現象とは移ろいであり、時空間の移ろう力が諸物を生んでいる。それは変わることを意味している。変わることそれ自体がなぜ起こるか。変化は時空の歪みによりもたらされていると考えられる。ひずんだ時空は非線形にあり、むしろ、変化のなさを生むことができない。移ろいそれ自体としてしか存在し得ない諸物は、そのカオスが実在の根拠なのではないか。カオスにあるからこそ、諸物が個別にそれぞれに実在可能なのではないか。秩序だけしかなければ、何も動かない。カオスにある諸物はそれゆえに運動する。