その232

 認識対象が認識を超えているといった意味とは何か。認識しようとする対象はそれ自体が運動を持つことから、止まった認識に置き換わることがない。認識そのものが動いていないといけない。動きを伴わない認識とは何か。数式はひとつの認識であり、止まっているが、数を代入すれば動く。動き続ける数が代入されたままだと、認識対象の運動をそのまま捉えて表すことができるのではないか。

 しかし、数が認識対象のすべてを捉えるのではないとき、いくら運動する数に置き換えることができたとしても、対象を完全に捉えたことにならない。認識対象はその運動のカオスをもとに考えると、数値化に際してその数値を超越した存在なのではないか。果てしない数の並びが捉えようとする対象にはあるのではないか。超越数と同じ考えが、認識対象にはあてはまるのではないか。つねに、表された数を超えて実在するのが認識対象ではないか。数に置き換えることができても、厳密には表現しきれない運動のあり方にあるのが存在の運動ではないか。動きている限り、捉え切ることができないのが万物ではないか。