その529

 思ったことのすべてが現実のことであれば、どれほどのこととなるだろう。残念ながら、思うことのすべてが事実というのではない。そう思ったということは事実だが、それが現実に当てはまるかどうか、それはまた別の話で、精査していく必要がある。つまり、流れとして、まず「思う」ことがある。それは直感と呼べるだろう。直感があり、その次に、「疑念」がある。疑うのだ。ほんとうかどうか、疑う感性があることで真実に向かっていける。直感、疑念、そして事実かどうかの精査の段階がある。そこにあるのは理性ではないか。直感、疑念、そして理性。理性界なるものがあるとすれば、その世界では常々、直感的に思われたことが真実かどうか思考されている。真実はその向こうにある。それは常にそうではないか。直感的に思われたことも理性界を通じて初めて、真実かどうかが決定する。あらゆる真実は理性界を通過したのちに明るみにでる。理性界を通過しない真実など、私たちにとってはあり得ないのではないか。それは私たちが常々妄想的だからで、さまざまなことを考え、直感する。そのすべてが正しいわけではない。純粋直感のすべてが正しいのであれば、理性界は必要ないが、残念なことに、直感したすべてのことが正しいわけではない。それゆえに、理性界で精査される必要がある。そういう現実を生きざるを得ない。