その393

 真理か真理ではないか。それは議論の余地のないことであり、真理だと考えられることでもない。真の理として実在することはそのようにすでにあるのであり、生み出されるものではない。何かがそこにあって、その訳が確かにある。真理とは理である限り、それは理屈である。理屈として確かなこととは、言葉の範囲内のことである。言葉で表現できる限りの正しさしか真理として実在しない。真理以上の何かがあるとすれば、徹底的にわからない領域が永劫的に実在することではないか。理ではないが、それがそのようにあるといった意味で正しいとき、それは真理ではないが真実である。あらゆる現象がそのようにあることはそれ自体すべてが真実である。それを正しく捉えようとし、言葉の法則にのっとって、構造を解き明かすこと。なぜだか、人間の頭のなかで世界に広がっている構造を捉えることができる。言語の法則はなぜそのようにあるのか。偶然にもそれでさまざまに有益なのか。意図していないことがいくつも起こっている。それはつなぐ力によりもたらされてると考えられる。現にある何かを他の何かとつないでいくことで解き明かされることがある。用いられている言葉の法則をもとに生み出される真理がある。それが真理であるのは言語の法則内においてではないか。いや、それが真理であるのは言語の法則を超えた事実ではないか。まぎれもない正しさがそこになぜあるのか。言語の法則内でなぜ完結可能なのか。