その516

 認識の限界は超えられていくが、永遠に超えることのできない限界として、「認識しようとしていることが他と関係があるとき、それは認識できない」といったことがあるのではないか。認識として成立するためには、その他と関係があってはならないのではないか。他と関係があることが認識として成立するだろうか。数式における変数がある。変数は変化するが、数式は構造的に変化しない。認識とは構造的なものではないか。構造なら認識可能だ。構造以外のカオスをカオスのまま、いかに認識できるだろうか。あらゆる認識は構造的であることを超えることができないのではないか。