その394

 言語を超えたところにあるのが真理であるなら、それは私たちには理解できないのか。数式を含んだ言語を超えたところにあるかもしれない真理にむかって言語は発展していっているのか。言語が発展するとは、その構造の発展だろうか。言語の構造はその偶然性に依存しており、その使用者である人間は言語そのものを発展させようとして言語を用いているだろうか。そうは思えない。現実の混沌がまずあり、その偶然性により言語は変化をしているのではないか。であるなら、発展ではない。変化に過ぎない。よくない変化もあるはずだ。いい変化かどうか、それは何を基準に判断できるのか。言語はその構造をもってして成立しているが、その構造の変化はけして、過去の構造と比較してどうのとされ変化しているのではないのではないか。紛れもない偶発的な変化がそこにはあって、それがそのようにあることを受け止めざるをえない。ただしかし、考えてみたい。それは、あらゆる言語の構造を洗いざらい検証していき、それぞれで表現可能な何かを発見することで、解き明かしたい何かに対してより適応的な言語構造がそこにはあるのではないか。構造さえあれば、言語はその意味をもつ。今日日、各人がなんとなく使っている言語の構造では表現できない何かがあるなら、その表現のためにより適応的な言語構造を既出の言語のうちから選んで表現することもまた一つの手ではないか。s