その510

 精神に宿る意味はそのすべてが限定的であり、それゆえに意味として実在するのではないか。意味が意味として実在するためには世界を限定する必要がある。世界はその実質において限定されているかいないか、それは分からないが、世界が私たちにとって意味を持つためには、その限定が精神によってなされなければならない。流れていく世界になぜか結論がでるのは、私たちの思考による精神がこの世界の実在することによるのではないか。なぜ世界を限定して、それが世界そのものの説明として成立するのか。それは私たちにとって合理的に感じられることのみではない。私たちにより限定され、明らかとなったような世界の意味は、世界そのものの自然のありようをそのまま示すことがある。それならば、世界そのものも精神それ自体であり、限定された意味をそれ自体で所有してもおかしくないと考えられる。