その511

 自然を捉えないで、何を捉えているのかといった問いがある。起こったことのすべてが自然だとしたとき、言葉になったこのすべてが起こったことであり、自然である。しかし、言葉になったことのいくつかが現実に合わないことがあるとき、言葉となって現実に起こったことは自然だと認め得るところと、自然だと認め得ないところがある。自然であるか、自然でないか。その問いの意味は深い。現実と合っていないことでも言葉になり、それはそれで自然である。人間がいつも現実的な言葉を発することができるわけではない。意図して不自然な言葉を発するとき、それは完全に不自然と認められるのかもしれない。しかし、不自然なことも自然と起こる。やはり、起こっていることのすべてが自然であろうか。発話するどんな人の言葉もいったんはそのすべてを受け入れる必要がある。そうでないと自然は語れないし、認識できないのではないか。自然を語ろうとする当人であって、不自然と思われることを語ることがあるのだから。