その433

 合理的でないことが起こっている。それは不合理だが起こっていてもおかしくない。すべてが合理的に起こっていれば、すべては理解可能だ。しかし、起こっていることのすべてを理解できるほどにすべてが合理的であれば、何も動かない。すべては動いている。それゆえに実在できる。動いているもののすべてを合理的に認識できるだろうか。合理性とは、存在の性質のすべてを表した何かではない。合理性という枠組みを私たちが持っているに過ぎない。合理性それ自体を世界そのもののすべてに当てはめたところで、すっぽりとハマるわけではない。すべてが合理的であれば、何も動くことなく、何も存在しない。世界は合理的ではない側面を持っていることで、動いて実在している。すべてが不合理なのではない。合理的でありかつ不合理である。それゆえに動く。動くのはすべてが合理的たらんとしているのかもしれないし、それはただ私たちが合理的に認識したいといった欲求の現れに過ぎないかもしれない。