その272

 言葉になっていなくとも、起こっていることがある。あるというか、ほぼすべてが言葉になることなく、起こっている。起こっている何かのなかに言葉がある。言葉があるから起こっているのではないのは言うまでもない。起こっていることが起こっている中で、そのうちの いずれかを言葉に置き換える。言葉になったことは言葉として起こったことであり、言葉に置き換えたことの原型ではない。起こっていることがそのまま言葉になることはない。

 言葉とは何か。意味を生む機材か。意味なら言葉がなくても存在する。言葉の意味が存在をあらしめているのではない。言葉がなくても何かがあるのは同然だ。存在はただそれがあればいいというわけにはいかない。生き物にとっては生きていくための環境がいる。そういった都合がある。ただあるだけでよいことにはならない。ただあるだけでないことから、それぞれに意味がある。意味があることで何かがあるのではないか。意味がこの存在をあらしめ、かつ、個別具体的に分けているのではないか。意味がなければ何もない。何もないとき、一切の意味がない。意味があり、かつそれが変容することで、存在がある。存在はそれが動くことでその成立となる。動くからある。動かないのであれば、その存在は実在し得ない。すでにそれではないことがある。すでにそれではないからあるのか。つねにそれであれば、その存在は完全なる停止にある。絶対停止することで何かがあるとは考え難い。絶対停止とはエネルギーゼロである。エネルギーゼロで何かが実在することがあるとは考え難い。わずかにでもエネルギーが込められていることでそれ自体がある。エネルギーを内在するからそれはある。それがあるから、エネルギーなのか。エネルギーがあるから、それがあるのか。あることからもたらされるのがエネルギーなのか。意味としてのエネルギーがあるから何かがあるのではないか。意味とはエネルギーではないか。変容する意味がエネルギーなのではないか。