その421

 事実は言葉となって知られるとき、果てして、言葉が事実をあますところなく示し切れるのかといった問いがどうしても残る。起こったことがあったその現場の生な感じは言葉にすると途端に消え去ってしまうのではないか。現場にあったのは言葉だけではない。言葉をどこまで信じれるのか、心許ない。

 言葉にすればはっきりとすることがあるが、それは言葉ではっきりと述べたに過ぎない。その場で怒っていたことがそれほどにはっきりとしたことではなかった。もっと複雑というか、簡単に分からない何かがそこでは蠢いていたのではないか。それを言葉にした途端、妙にはっきりとしてしまい、その現場の生な感じが破壊されてしまいかねない。言葉は現場を破壊するといっても差し支えないのではないか。