その422

 言葉は現場で起こったことを生のまま捉え返して表現することはできない。言葉はいかようにも加工可能ではないか。あることを伝えたいとき、そのために現場がどうだったかは関係なく、伝えることを目的とし、言葉は加工される。確かにそうだったかもしれないが、そうだっただけではないはずだ。言葉にならないが言葉にしてしまっていることがあるかもしれない。そのとき、言葉にされたことはそのような命として顕現し、それ自体が確かにひとつの事実ではある。述べられたことが指し示す現場との関係ではなく、そう述べられたことで生じた意味それ自体がそのように実在し、他者に伝わったこと自体が事実なのだ。言葉で事実を述べることはどこまで可能でどこまで不可能なのか。