その244

 言葉、つまり概念において捉えられた領域の運動を数に置き換える。それで概念の意味するところのすべてが捉えられたのか。存在の物質的な運動をそのまま数値に置き換えるとき、置き換わった数値が捉えようとした概念のすべてであるのか。いや、すべてであるのではない。概念とは言葉であり、その領域がはっきりとしない。つまり、言葉で示された概念の全体があいまいで、それは有限であり、果てはあると考えられるが、どこまでが概念の示した全体は明らかとならない。明らかでない全体を数値に置き換えたとき、それははっきりとしなくて当然ではないか。

 概念とは具体的である側面もあるが、しかし、最終的には抽象的ではないか。具体だといえど、その意味することが単に個物であるだけで、個物の実在について論じるとき、その全体ははっきりとしないことから、あいまいでその最後においては抽象的である。それゆえに、言葉の行き着くところは数なのか。数より他に、存在の細部を捉えることのできる何かがあるだろうか。