その381

 何かを定めるとき、そこにはメタな定義が連鎖的に実在する必要がある。りんごとは各各然然であるとなったとき、その各格然然がなんであるかを言葉にしなければ、なんのことかわからない。いや、言葉にしたところで、それが何であるかはっきりするだろうか。それはそれそのものであり、それがそのようにあることが間違いのない事実である。そのようにあることがどのようにあるか、それを言葉にしようとすることに無理がある。無理があっても、言葉になったことはそれなりに説得的である。説得的であるからといっても、それが完全であるわけではない。何かをどこまで捉えているのか。りんごのすべてを捉えたことのない誰もがりんごのことを完全に知ったことはない。知られようと知られまいとりんごは確かに実在する。