その411

 あらゆるものがあって、そのいかなるかを司る力として時間が実在するといった考えについて、それはどういった現象として起こっているのか。時間は実質的に実在しないかもしれないが、私たちが知ることのできるのはその認識によるところであり、認識することにおいてその極限に発生するのが時間ではないかとひとまず考えてみるとどうだろうか。

 存在の流れを追いかけていくとやがて時間といった現象に出会うことになる。それ以上の現象はない。時間の流れが一切を司っているなら、その時間とはいったい、この私たちの認識内においてどんな現象として実在しているのか。繰り返すが、時間は実在しないとしても、認識内においてならある。あると思った前提で考えることで認識が少しでも進む。そういった方法で私たちは考えているのではないか。なんとなくこんな感じのことがありそうで、それを前提にするとこう考えられる。それがそのまま世界にあてはまる。あてはまったからといっても、それ自体が実際にあるかどうか。つまり、時間の流れが確かにあるりんごのように確認できるかどうか、それは定かではない。定かではないとしても、世界の実在性について語り得ることはいくつでもある。物質的次元であてはめて推論するなどしたとき、そのまま的中するなら、その現象は実在すると考えることには無理はない。